SSブログ

魔王(日本版) 11(最終)話 [魔王(日本版)]

主要人物二人の結末は、原作どおり。その他関係者は皆殺しで処理しちゃいました。がっかりです。
サスペンスに特化して、エンタメとして面白く作ったと思います。原作ではあまり感じない「韓国ドラマテイスト」が強いリメイクになっていたりと、リメイクとして興味深く見ましたが、結局は「時間が足りないから心理描写しない」という方針が最終回まで貫かれてしまい、心理ドラマとしては浅い作品になってしまいました。
日本ではキリスト教のなじみが少なく、原作にある宗教色を廃する必要がありました。おそらく、リメイクスタッフでキリスト教の影響のある部分を真面目に考えた人は居ないのだと思います。それを何に置き換えるか?という作業は最初から放棄されていた。
そして、最終回までになんとか意味を提示して欲しいと思っていた、弁護士の弟→兄の設定変更。これも意味をまったく成さなかった。しかし、原作の「弟」であるからこその台詞や展開はそのまま使っており、小さな矛盾がアチコチにあるまま終わってしまいました。
いろいろな変更点を、多くの人が宗教を持たぬ日本ならではの形として提示できるのであれば、結論が違ったとしても「韓国版」への返答のような、良いリメイクになるのではないか?と思っていたのですが、そういう志はない作品だったんですね。「復讐は無意味で悲しいだけだ」って程度のことしか言えてない気がします。

二人のラストの対峙シーン。カメラワークや台詞、役者の演技まで、ほとんど原作をなぞってます。なぞっているのに、ちょっとしたことや、今までのエピソードの違いで意味が変になってしまってるのが残念。
特に、ハーモニカを渡すのは・・・。秀雄も許しているという意味にとられますが、「秀雄は秀雄であり、友雄が”秀雄が芹沢を許すかどうか”を決めてはならない」という根本の問題(秀雄が望んだわけでもないのに、秀雄のためといって復讐を始めたこと)を、まだ成瀬は分かってないじゃないか!って思ってしまいました。あそこは、刑事の優しさが詰まったホイッスルが、サイコメトラーを通じて弁護士に渡り、ココに来てやっと「刑事の人間愛」に気がつくという原作エピが、「刑事によって人間愛を悟る」というラストシーンを象徴してるのにな~。
それと、「これでよかった」という芹沢に違和感が。前回の「死ねと言うなら死ぬ」もだけど・・・。原作の刑事は「生きて苦しむ」ことにこだわってきた人。そうやってもがく事で希望を持ってきた人。その前を向く力がラストの「生きてくれ」というメッセージになって、弁護士に伝わっていく。そこは「許す」とか「理解する」という次元を、「生きる」という動物としての本能と、「運命は変えられる」と希望を持ち続ける人間らしい感情が飛び越える瞬間。善悪・赦しなどの問題が、愛の問題への昇華する瞬間です。これまで、なんども刑事の愛情は、色んな形で伝えられようとして、そして、伝わらなかった。愛を伝えることの難しさを終始書いてきたから、最後の最後で伝わったことが、感動につながる。「コレでよかった」というのは、弁護士が未来を向いて生きられるからであって、自分が死んで償えるからではないってのが、日本版ではイマイチ強く打ち出せてない。
銃を一度は向けるのも「それが弁護士の願いだから。自分は求められてることをすべき」という意味があり、「立場・役目を担ってきた父のような愛情の示し方」としての選択でもある。その上で、「生きて欲しいのだ」という自分の表現の仕方に変化する。 「まだ分からないのか?捨てるものなど何もない」という台詞に対して、「嫌、あなたは神に愛されている」と言い切れるのが原作の刑事なんですよね。そこは完全に造形が変わってしまっていた。(シーンとしてはほとんど原作と変わってないのに)そして、成瀬の「許してくれ。あなたも俺も。」は芹沢に語るのでなく、社会に・世に・神に祈る言葉にすべきだった。許すのは人ではないんだというキリスト教(というか宗教一般)の大前提について、もうちょっと考えて欲しかった。

あらすじを読むと日本版スタッフが、芹沢のキャラクタを「過去を悔やんで生きてきた」って部分で終わらせてしまっている気がするんです。この物語では、刑事が「過去を悔やみながら、未来を見つめ続けてもがいた人」だというのが大事なポイントだと思うんですよね。刑事はオイディプスなのだから。その強さが、弁護士を未来へと押しやる。日本版が、「未来を見続ける力。運命を変えようとする力」に変わる何かを提示できているわけでもないですし、ココは原作を大事にするべきだったのでは?

あと、サイコちゃん。幸せを語るのに「自然の美しさ」じゃだめだよ。成瀬が絶望してるのは人間の醜さなんだもん。人の美しさを語らないと・・・。原作から、水仙の花を植えるシーンなどから引っ張ってきたんだろうけど、あれは「刑事の優しさ」がつまった水仙から派生するからこそ、意味のあるせりふな訳で・・・。

大きく違ったのはヨンチョル=山野の暴発。刑事の必死の語りかけも、弁護士の説得も効果がなく、彼が「魔王」化していくのが原作。原作ではそのまま”くらいトンネル”に取り残されます。終盤に、サイコメトラーがヨンチョルに会いに行ったりして、彼を止めようとするパートがあり、おそらくヘインが必死に明るいところへ連れ出そうとするだろうというのは示唆されてますが・・・。日本版では、「止める人が居ない」ので、暴発も仕方ないかと思いつつ、止める人が居ないからこそ「止まれない」ことの悲しさは弱かった。
ヨンチョル=山野については、こういう役回りを与えるのであれば、省いた諸々をキチンと書くべきだったし、「誰のための復讐なのか?」という点について、弁護士についても突っ込んだ話を展開すべきなのではないか?原作では「自分の悲しみが本質的な問題で、それが真実を捻じ曲げられた怒りに転化した」という表現になっていたように思います。しかし、日本版では、正義感というか、「亡き弟のために」という部分ばかりがクローズアップされ、弁護士が「自分のことしか見えてない」という部分が弱かった。原作が「復讐される側」の物語ならば、日本版は「復讐する側」の物語で、これは「復活」(韓国「魔王」の前作と位置づけられる関連作品)に近い構図です。「復活」でも、「誰のための復讐なのか?」というのが最終的に問題となって深く掘り下げられた。やはり、復讐する側の物語としては、そこがポイントになるはずで、復讐者のエゴを書き出さなければ、綺麗なだけの復讐になってしまいがちだと思う。そういえば、ラストのしおり&班長・中西のラストは、復活のラスト「愛する人と捜査協力者が浜辺で語り合う」というものに似ていて、多分モチーフとして引用してると思います。しかし、そんな遊びよりも、テーマをちゃんと読みとって取り組んで欲しかったかな?

もう一点の大きな違いは皆殺しラスト。罪を犯した関係者が、全員死んでしまうとラストは、「世の中は因果応報」ということを強調してしまっている気がします。しかし、これは「因果応報ではない」事件が発端です。因果応報なのだとしてしまうと、秀雄も死ぬほどの罪を犯したから、若くして死んだということになってしまわないでしょうか?
原作でも、主役の二人は死亡します。しかし、彼らが死ぬのは、罪の代償としてではなく、ただ彼らの運命がそうだったということです。(芹沢が事故死ってのがそれを示唆してる)神の与える運命は時に過酷です。その運命の中で如何に生きるか?少しだけかもしれないけれど、運命を変えることができる。奇跡は起こる。彼らの間に「理解」が生まれたのは、その「運命を変えた」瞬間です。そして、運命を変えようと自分なりに事に真正面から立ち向かった二人には、死の時=審判の時に救済が行われる。これが原作の「主役二人の死」の意味だと思っています。でも、日本版はそうなってませんよね。このドラマのテーマは「不条理に感じる出来事が起きる」ということに、どう対処するのか?ということ。そして「不条理なことはなくならない」という現実は変えようのないこと。だから「因果応報」では回答にはならないのではないか?と、思うのです。原作は「どんなに過酷な運命を授けようとも、神は人を愛していらっしゃる」というキリスト教の前提がベースにあり。その神を信じられるかどうか?というのが軸になっています。この神の愛は、「未来への希望」とも置き換えられるし、「神に与えられた運命を変える力」ともいえると思います。それらを信じられなくなった弁護士=サタン=ルシファーと象徴しているのも、その考え方によるもの。「愛」に代わる何らかの答えを打ち出せたなら、それはすごいと思うのだけど、それはできませんでしたね。
「復讐は無意味に終わる」「復讐は新たな罪となり、自らに跳ね返る」という懲罰的な要素では、「死にたい」と思ってる復讐者を止めることはできませんよね。それは法による懲罰が、時として無力なのと同じです。日本版は、ここから一歩踏み込んだものを提示できてないと思うのです。

全11話というフォーマットで、筋立てをそのまま使うと成ると、こうなるしかないのかな?基本的に倍速にしただけ(日本版1話で原作2話を消化するペース)で、どれかひとつの事件に特化するわけでもなく、ホントにダイジェストを作ったという感じです。さらに、演出から台詞からそのままのシーンが多くて、ツギハギだらけでしたね。そして、ツギにあたる独自部分の質の低さが目立ちまくった。2時間の映画でも、このようなテーマについて突っ込んで描いた作品があるのだから、時間を言い訳にせず、思い切って筋立てを変えるなどをして、テーマに切り込んで見て欲しかった。

あらすじ↓

続きを読む


オンエアー 14話 [オンエアー]

えーっと、13話が録画失敗で、先に14話レビューします。ハングル分からないながらも、13話を字幕なしで見て、一応大体の流れは分かってるので、13話は土曜の再放送で見てレビューします。
まだまだ、ギョンミンの両てんびん状態というか、ギョンミンの気持ちはヨンウンに傾いてるけど、美人なスンアにモーションかけられてる?となるとフラフラしてしまう男心!って奴ですか?ま、遊ばれてるだけだと、やーっと気がついたご様子で、14話ラストではかなりヨンウンへの気持ちが盛り上がってます。
しかしですね。ヨンウンの方は、11話の”5・6話書き直してもらえる?”事件以降、かなり慎重になってる気がします。自分の気持ちに気がついて、「トキメクのは仕方ないけど、それで暴走しないように。プロとしてやれるように」ってブレーキがかかってる気がする。自覚がないときとは違ってきてる気がする。ギョンミンの方は、「最近自覚した」らしいのですが、妙に積極的と言うか、思わせぶりと言うか。もっと近づいて、気持ちを確認したいのか?実は、撮影が始まって「俺の本来の仕事だぜ!」とテンション上がってるだけ?、ソ作家と会う時間が減ったからフォローしてるだけ?って気もしますけど。


リテイクの嵐にギジュンが切れた。「来い」とスンアを連れ出そうとする。ギョンミンが激怒して「何のつもりか!」という。ヨンウンも「みんなが見てる」と止めるけど、関係ないって連れ出した。私は「馬鹿じゃないの?」というチェリーに共感。だって、演技できないスンアに付き合ってリテイクしまくってるのは彼女だもんね。私はチェリー好きなんですよ。なんつーか、裏表が無いじゃないですか。それじゃ憧れられるスターにはなれないかもしれないけど、女優としては素直なのって大事な資質だったりするしね。
その場で喧嘩続けないで、連れ出すのはギジュンのギリギリの配慮かな?ギョンミンが追っかけたけど、「3時間も同じことの繰り返し。監督が詳しく指示を出せばすむこと。」と痛い所を。彼女はプロで説明が必要ではない」というギョンミンに、「監督に明確なイメージがないから出来ないんでしょ?いいテイクが出るのを待ってるだけ。」と。何処が悪いのか言えないのは、脚本問題の時もだよね。まただ。ヨンウンにも「台本は6話までしか出来てない。俺の女優を何だとおもってる!」と怒鳴りつける。ヨンウンは「仕方ない。でも時間が無い。分からないの?」というけど、「知ってる。君や監督だけのドラマじゃない。君は自分しか考えてない。監督と役者を利用しているんだ。たった3枚の紙しか渡されてない。事前に打ち合わせをして具体的事項を決めておくのが君らの仕事だろ!」とギジュン。ヨンウンは「一理あるけど、皆の前で恥をかかせないで私に言えば済むことだ」と主張して、「話したぞ。マネージャーの話なんて聞く耳もたずか!」とやり返された。<うーん、スンアが望まなきゃ説明しても仕方ないことだし、ヨンウンの事情だって話したし、本が遅れたのはスンアが持ち込んだ諸々の芸能界での駆け引き問題も影響してるんだけど・・・。スンアがヨンウンの話聞くと思えないしさ・・・。スンアが「一時間休憩を。責任は私にもある」となだめた。
これさ・・・。ヨンウンはギョンミンを思ってるし、ギョンミンは勝手な事された上にヨンウンが酷いこと言われて益々怒ってるし、ギジュンはスンアが酷い目にあってると怒ってる。演技が出来ない当事者のスンアが蚊帳の外なのよ。スンアが自分で「何が悪いのか?」って問えばかなり違うのに、プライドが邪魔して言えないのよね。

続きを読む


オンエアー 13話 [オンエアー]

スンアに衣装を変えろというギョンミン。「ウニョンは7歳だ。」というギョンミンに「体は25歳。洋服は体に合わせるもの」というスンア。ギョンミンは、「心が選ぶのだから、それは可笑しい」と粘ったら。スンアは勝手に5分休憩を宣言してバンにこもっちゃった。記者が集まってたから大変な騒ぎに。
店を借りてのロケだから時間制限がある。しかし、「女優に屈するつもりはない」というギョンミン。照明監督さんが「チキン食べに来た客にポテトをだしたら怒る。なだめて来い」とギョンミンに言うけど、実際になだめるのは助監督オソクのお仕事です。実際はギジュンが「君が損をするだけだ。監督が言ってることは正しい。プライドは分かるけど」と説得。服がないので、スタイリストが着てる服を使うことに。さらに、チェリーにも着替えてもらうことが条件。チェリーの方は、スンアが5分ごねたなら私は10分ごねるって意地張ってる。衣装を事前チェックしてないのがミスだよね~。
やっと撮影再開。しかし、スンアはやっぱ・・・。この業とらしい演技で大丈夫か??(っていうか、キム・ハヌルさんは演技うまいけど、純真ってタイプじゃないよなあ。今後、良い演技になっていくのを見せられるんだろうか?)やっと終わって「新人監督に大根女優じゃ、時間がかかってしょうがない」なんて撮影監督は愚痴ってるけど、照明監督は「スタートは切った。とにかく前に進むしかない」といってくれる。多くのスタッフが撤収作業をしてる。彼らの協力なしには撮影できない。スンアも含めて、それぞれの意地がぶつかり合うこともあるけれど、彼らを抱えていくのが監督の仕事。(ギョンミンは家庭でも兄を抱えて苦しんでるけど、無愛想に見えて優しいし、人を切り捨てられないタイプなんだろうね

ヨンウンは取材を受けてます。今までにない深い作品で不安だといいながらも、台本を読んだ人からは絶賛の声があると聞いてご機嫌。しっかりスンアもチェリーも持ち上げるヨンウン。誰が一番好き?と聞かれても、「脇役まで魅力的に書いちゃうのが私の欠点。削る所がないって監督も言ってくれる」とお調子者ぶりを発揮。しかし、記者が「クランクインの現場に行ったけど、監督はすごく真面目な方ですね」と、トラブルがあったことを話した。ヨンウンはすぐさまダジュンに事情を調査するように連絡。オソク君ラブなダジュンはすでに連絡とってて、事情を把握してる!ダジュン頑張ってるな~。で、ヨンウンはオンマの店で食料調達。「私のために頑張ってる人に食べさせるの」っていうヨンウンに、「オ・スンア?店につれてきて!自慢したい」なオンマ。
ヨンウンは局に戻ってるギョンミンに食べさせてる。がっついてるギョンミンを見るヨンウンの目が!完全にハート型になってるぜ。そんなに好きか!!ギョンミンは「美味しいね。ソ作家もオンマに似て料理うまい?」だって。ヨンウンは「似てない。」とかいいつつも、お茶をついであげる。「撮影が始まると、ホントに放送されるんだな~と思う。いろいろあったけど、ようやく始まるのね」と感謝の気持ち。そして、「今日はどうだった?平気だった?」と聞く。ギョンミンは「いや、俺がトラぶった」という。ヨンウンは「聞いた。この業界は噂が早いから」と話を聞いてあげる体制。「ベテランだったらこんなトラブルはないんだろうけど」と落ち込んでるギョンミンに「そのくらいは小さなトラブルだよ。ちょっと失礼するわね・・・」と席をたつヨンウン。???なギョンミンに、でっかい箱もって登場。中からは「イ・ギョンミン」と書かれたディレクターチェアが。固まるギョンミン。「気に入った?良い監督は1シーンを大事にする(つまり、粘って衣装変えさせたギョンミン支持)。でも、もっと良い監督は、シーンごとの間も大事にする。意味わからない?シーンとシーンの間よ。姉妹のシーン減らそうか?」とギョンミンを助けようとするヨンウン。ギョンミンは「20年ぶりに再会する姉妹が見所なんだから」と元気になるギョンミン。ギョンミンが、声出して笑ったよ。ギョンミンはニヤニヤ笑いはあるけど、笑い声がでるのって珍しいよね。夜中の誰もいないオフィスで、椅子を愛でるギョンミン。なんかさ、椅子に腰掛けてるのが、ヨンウンの優しさに包まれてるみたいで、ホント幸せそう。

続きを読む


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。