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五星大飯店 FiveStarHotel 30(最終)話それぞれの道 [中華ドラマ]

終わりました~。美形だけど何考えてるか分からん青年ユーロンが、3人の女性にモテモテってな話です。3人とも、それぞれに魅力的。
そして、絵が奇麗、特にジエとのシーンは観光案内かねてあちこち訪問して自然も美しい。

本国では「取り直しエンディング」を後日放送したらしいんですが、この放送はどっちのエンディングなのかなあ。


バトラー試験に挑戦していたユーロンは見事難関を突破し、晴れてバトラーに。ジエの一方的な指名で正式な資格も持たずに図らずもバトラーになってしまったユーロンだけど、今度こそ周囲の目を気にすることなく常に正々堂々としていられるようになった。すぐさま、国賓級のVIPにバトラーとしてつく。
また彼は、全国接客マナーコンテストに出場する万乗ホテルの代表にも選ばれた。

その頃、ヤン・ユエは香港在住の見知らぬ人物から繰り返し送金を受けていた。「シエ」という名義。
リハビリも頑張って、自分の力で生きていこうとしている自分にはこういう支援はもはや必要ないと、ユーロンに語るユエ。
さらに、ボストンの法律事務所から研修生として受け入れるという知らせが届いていることも打ち明ける。ユーロンは、ユエの再出発が着々と軌道に乗り始めていることを素直に喜ぶ。でも、ユエは寂しがってほしいんじゃないかなあ・・・。ホントに女心の分からん男だわ。「もっと大切なものがある。この町が好き」とまで言ってるのに、態度をはっきり決めなよ~。

ユーロンはいまだにトウトウを忘れられないみたいだね。トウトウと聞いてた「真実」をよく聞いている。ユエに真実は悪いことかな?と尋ねるユーロン。ユエは「真実と幸せは違う。夢は人を酔わせて幸せにしてくれる」と、なかなか深いことを言う。ユーロンは「過去を夢見たりする。夢は夢。さめれば全てを失う。信頼と約束を失った」と語る。ユエは「新しい約束をすることはある?」と尋ねる。ユーロンは「同僚たちと、全力を尽くそうと約束したよ」って違うだろう~。ユエは「男の人の頭の中は仕事ばかりね」って笑ってるけど。

全国接客マナーコンテストの銀海地区予選には万乗ホテルからだけでも36人も出場していた。だが、この中から本戦である全国大会に進めるのはたったの1人である。プレゼンで「人の美しさをみる相手のために自己を犠牲にする心。死や誤解も引き受ける」と語ったユーロン。

優勝者を含む10名の入賞者は表彰式の会場で発表されることになっている。当日、ユーロンは自分の家族・妹としてヤン・ユエを会場に招いていた。
万乗ホテルの関係者も多数詰め掛ける中、優勝の栄冠を手にしたユーロン。しかし、この優勝者に賞を手渡すプレゼンターとして壇上に姿を現したのは、いまや押しも押されぬ大スターの地位にまで登り詰めたトウトウその人であった。(いつのまに!!)

受賞の感想を」とユーロンに発言を促すトウトウ。そしてこれに応じる形でユーロンの口から出たのは、「成功や幸せを掴むまでの過程こそが大切である」という己の信念。トウトウに対する彼の贖罪の気持ちと、偽りではない真実の愛を求め続けるというメッセージを語る。もう、完全に二人の世界。式の後、ユーロンはトウトウをおっかけて抱きしめた。

ユーロンのスピーチを聞くユエの涙が奇麗だったねえ。でも、「ユエへの愛情は偽りだ」ってスピーチでしょ?ユエがいるって知ってて残酷だよなあ。家族みたいなものとは言ってたけど、「自己犠牲こそが尊いもの」とかプレゼンで言ってたくせに、ユーロンはホントに残酷なんだよね。自己犠牲に酔ってるだけに見える。

倒れそうなユエをトウトウに恋する男アーロンがフォローした。そして、トウトウがずっとユーロンを調べて見守っていたこと。勘違いですれ違ったから、きっとやり直して銀海で暮らすだろうということを語ります。
ユエは「分かっていた。彼は揺るがない。一度心に入れた人を変えはしない。ココは美しい出来事を生む場所だけど、想い出しかない。」と言ってボストン行きを決意。「愛に勝ち負けはない。愛する人が幸せになるなら手放すことも愛情だ。自分の道は自分の力で歩まなければ幸せじゃない」とユエは語る。アーロンは「俺は見守り続ける。愛は傍にいることだ。俺は自分の一生をかける」と語る。
トウトウやユーロンの身勝手な真実や愛よりも、この二人の語りのシーンが秀逸でしたね。
主役カップルの愛情もイマイチ描写が薄かった「初恋だから、約束だから、手放せない」ってイメージだった。、脇のキャラクタの方が深みのあるキャラクタが多かったなあって印象。

RESCUE~特別高度救助隊 8話 [日本ドラマ未分類]

熱血ドラマとして見てるけど、やっぱりミス多すぎ、人死にすぎだよなあ。「助けたい」って気持ちの熱さだけは、熱演で伝わるんだけど、プロとしてどうなんだっていう・・・。

救助中、トンネル崩落現場での爆発に巻き込まれた 五十嵐 (田中要次) は、瓦礫の中から脱出できずにいた。
しかもトンネル内のガス濃度が上昇し、爆発の危険性が増していた。
指令センターの 芹沢 (石橋凌) からは退避命令が出されるが、徳永隊長 (石黒賢) を始め、大地 (中丸雄一)、豊 (増田貴久)、不動 (山本裕典) たち隊員は五十嵐を見捨てることは出来ない、と必死で救出作業を続ける。

自分の身を危険にさらしながら救出を試みる仲間に、五十嵐は瓦礫の中から無線で語りかける。「みんなを死なせるわけにいかない。沢山の命を救える人間なんだ」と・・・。これは、決断する徳永が辛いよねえ。大地が抵抗するけど「命令だ」と怒鳴りつけて退避。
五十嵐は映像を家族に残した。これでまた暴走しそうになる大地を手塚が止めたね。なんだかんだ良いコンビに。

「結局は皆が退避した。SRは仲間を見捨てないんじゃなかったのか?仲間の命も救えないで・・・。意味が分からない」と混乱してる大地。でも、徳永に頭を下げられちゃうと、責めるに責められない。

管理官の報告も辛いなあ。ある程度覚悟してることとはいえ、今日が最終日だっただけにまた・・・。奥さん、立派だったね。
皆、敬礼はホントかっこよく決まってるな。小さな息子の敬礼も、べたべただが健気すぎる。子役使うのは反則。
大地たちは、「本当にそれで良かったのか?」という迷いを持ってしまう。でも、「自分の命を捨ててまで人の命を救うなんておかしいよ。待ってる人がいるのに」とあおい。

徳永班は「命令無視」で査問を受けることに。大地は「現場は常に危険だ。危険を冒さずに救うことはできない。目の前の人を見捨てられない」と訴えるが、結論は徳永班解体。徳永は謹慎。大地は、服務規程違反2回で懲戒免職。


徳永は「俺は、お前が懲戒免職になって良かったと思っている」と告げる。確かに、このままじゃ絶対に直ぐに事故に会って死にそうだしなあ。

銭ゲバ 9話 [日本ドラマ未分類]

うーん。イマイチ。命題の提示だけで終わっている気がするんですよね。「世の中銭ズラ」なんてのは、ある程度分かり切ってることじゃないですか。じゃあ、そこから何を生み出すのかってのが、現代の作品として求められることだと思うんですよね。
別に正解じゃなくてもよい。間違っていても良い。でも、作り手なりのチャレンジというか、命題への対峙の仕方をもっと表現してほしかったなあ。
そもそも「銭」とは何か?っていう部分の掘り下げが弱かったのも気になります。

やっぱり、岡田さんは甘い優しい人なんですよね。風太郎の愚かさに「馬鹿じゃね」っていう突き放しが出来ないのが、岡田脚本らしい。情でドラマを描いてしまっていて、冷徹に社会や風太郎を見つめる視線を保てない。でも、岡田脚本の良さっていうのは、その甘さだったりもするからねえ。

初回で「銭ズラ」という命題が提示されたけど、それが全てでしたね。その命題に対する答えというか、掘り下げは「ありふれた奇跡」の方が色々と触発される描写が多かったな。レビューではあんまりふれてないんですが、お金のやり取りが生活に密着してるんですよ。その上、金の流れに沿って出来る微妙な支配・被支配関係や、その関係の軋みみたいなのを丁寧に掬い取ってますよね。金があることで勇気が出たりするって側面なんかも凄く良くかけてる。
銭ゲバというドラマがあることで、より深く「ありふれた奇跡」を楽しめたって気はします。ただ、残念ながら、銭ゲバ本体には、それほど深いものを感じなかった。

さて、最終話レビュー
ドラマを素直に見ると、導火線着火→「みんな銭ゲバだ」とラストにあったコメント→幸せを妄想→死ぬのが怖くなって唾で火を消そうとする→火が付いて死亡ですね。ただ、「みんな銭ゲバだ」っていうのが、ちょっと唐突なんですよ。妄想も、幸せをしらない風太郎らしい陳腐さなんだけど、所々で出てくる言葉が「これは風太郎の中から出ないだろう~」って感じがした。

だから、苦しみながら死んだと思ってたのはみどりの妄想なのかな?とも思います。ただ、風太郎しかしらない事実も入っているんで、この辺は矛盾したものになってますね。

その妄想ですが、初期設定で金があれば幸せになれたっていう妄想。陳腐だし、現実はそんな簡単じゃないけど。受験とか、この幸せにも勝ち負けがあるし、金じゃ能力は買えないんだけどね。
初期設定が大事だから、「金があれば幸せになれる」=俺が正しかったという風太郎の裏付けにも一応なってる。
他人は「金じゃない」というけど、それは最低限の金があるから。その最低限の金は誰かから奪った金だということを、自覚していない。ラストメッセージはそう言いたいんだろうね。でも、金はすべて誰かから奪うものだっていう発想が特殊だよね。まずは労働で金を得る。誰かに何かをしてあげたいという気持ちの結果として、「生まれた時から金持ちの人間」が出来る。それは奪ったということなのか?

次段階。妄想してる間は死への恐怖なんてないんだけど、その妄想が破たんしたときに、恐怖にとらわれて死ぬ。(これが緑の妄想でも現実でも、制作者がそういう可能性を提示したいって意味では、実際は大きな差はない)

風太郎のラストの演説は「お望みどおりに死んでやる」俺は、この社会から弾かれたが、純粋な獣だって宣言で、納得して死んでいったという主張。金って言うのは、「自由に欲を満たす権利をある程度買える」という意味もあって、だから「死ぬ自由」こそが究極の金って感じなのかな?と思った。
ただ、三国父死亡後の風太郎は、そういう「生きてやる」という獣部分が亡くなってしまって、そのままズルズルと死にに行ったので、あの演説には、かなり唐突に感じました。
そう思うと、苦しんだ方が実像かなあ~って気もするんですよね。なんとなく、面倒になって死のうとしたけど、死を目の前にしたことで生きたくなるって感じの方が、風太郎の心理的流れには乗っている気がします。
「死にたくない」と言わせるには、「決意なしに何となく死ぬ」っていう前提が必要になり、そこで原作とは離れてしまったんだろうな。

原作は、徹底的に金で欲望を満たして言ったあとに、自叙伝を書くことになる。自分の真実は明かせないので嘘を書くんだけど、そこで「幸せな妄想」をしてしまい、それが自殺の引き金になる。それを認めたら負けになる。破たんしないために、負けないために死ぬ。それは、「殺してでも生き残ってやる。勝つ」という風太郎らしさが最後まで貫かれてますよね。遺書は「いつも私だけが正しかった。この世にもし真実があるとしたら、それは私だ。私が死ぬのは悪しきものどもから私の心を守るためだ。私は死ぬ。私の勝ちだ。私は人生に勝った」と記されている。

原作とドラマの風太郎はキャラクタが違ってる。それでも、原作の「俺は勝った」という主張も入れたくて、こんな構成になったのかな?中途半端な書き方になった気がしますね。ドラマで作った流れと、原作の主張がずれてしまったときに、制作側がどっちも捨てられなかったように感じました。
「考えてほしいから」というつもりかもしれないけど、私は「制作者ももっとちゃんと考えろ。あきらかな矛盾くらいは排除しておけ」って思います。考えるっていうのは、一つ一つ議論を固めて積み上げていくってことをある程度しないと、高みには登れない。制作者がある程度腹を決めて、「自分の主張」を提示してほしい。
風太郎は、いろんなことを白黒に分けようとして、その狭間で苦しんでるっていう意図は読み取れるんだけど、なんか呻いてるだけだった。
金が必要なのも、金だけじゃ幸せになれないことも、言い尽くされてるじゃないですか。「そんなことわかってますが何か?」というのが現実で、そこでいかに生きていくかを問われてる段階に時代はきていると思うんですよね。白と黒の狭間で生き抜くことの意味について、掘り下げ切れなかったように思う。

主張が定まらない製作者の意図を考える事と、テーマそのものについて考えることは違う。大事なのは後者なのに、前者にばかり気を取られてしまうドラマというのは、本当に「考えさせるドラマ」なのだろうか。そんなことを考えてしまいました。

風太郎の死後として、金でなぶった人たちも、金があれば幸せな日常に戻っていけるというエンディング。
風太郎が「盗んだお金」で幸せになった彼らもある意味では「銭ゲバ」。そこから目をそらしてるとラストメッセージは言いたいのかもしれないけど、「金じゃないよ」という人たちは、「自分が受け取ったのは金ではなく、金というものに代替された愛だ」という主張。妄想の風太郎父が語る「子供に何かをしてやりたいという思い」みたいなのも近い。緑が父親から受けた愛でもある。「汚い金が愛を代替してる」という部分は、もっと掘り下げる価値があったと思うんだよなあ。

風太郎は結局は、伊豆屋さんや刑事を助けることになった。でも、風太郎は、「金がある」状態になって初めて「誰かを助ける」と思った。でも、彼等は「金がない状態だからこそ、自分を売ってでも助けたい」と思った。これは、結構大きな違いなんじゃないかと・・・。彼等は、社会の中で、愛に束縛されていることを重要視してる人たちなんですよね。

うーん。いまいち纏りのないレビューになりましたが、「銭ゲバ」という原作から受けた衝撃をドラマにしたいという思いだけは伝わりました。原作ものってそんなものかもなあ。

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張禧嬪(チャン・ヒビン)24-28話 [張禧嬪(チャン・ヒビン)]

毎日放送で見損ねたらたまってしまいました~。がんばって見ます。
あんまりオクチュンの横暴と王の盲目が酷くて腹が立つので、ネットで終盤のオクチュン破滅のあたりの話を見ちゃった。ちょっとスッキリした。

24話 強い臣下
就善堂の件で対立する西人派と粛宗。
民の暮らしには全く気を配らず、女官の追放にばかり必死になる西人派に怒りを感じていた粛宗は、決して引き下がらない。自分を王位につけた西人派に権力を握られてるから、なにかと言い訳つけて抑え込みたいみたいだけど、オクチュンのまがまがしさに気が付いてないのがなあ。再三の嘆願で、王も罰した官だけは解放した。

オクチョンは、王妃の仲裁も「王がお越しになる」などと言って無視。酷い、酷すぎる。王は、やってきてないのに・・・。事態を収拾しようとした仁顕(イニョン)王后は、わざわざオクチョンのところに出向く。
さすがに、大王大妃も「王妃を下に見るなど許さない」と叱りつける。オクチュンは「なんで怒られる?後ろ盾なのでは?」と戸惑う。世次を生んで側室になるだけで良いといわれて、「そんなことのために耐えてきたのではない。仕返しする。」とか言ってます。正直、あんたの家が没落したのは、謀反を起こしたからで、自業自得。「人の命なんてどうでもよい」と思ってるのは、オクチュンだってそうじゃん?

味方が居ないと気がついたオクチュン作戦変更。粛宗のもとへ赴き、宮殿を混乱させた罪を償う土下座を見せた。こうやって、「王妃が私を非難して、いじめるの~」って見せるのか。「南人派をいさめているのでしょうが、人は私のせいだと思い、民心が離れる」とか言ってもらって、王はコロッと騙されてる。王さま、単純だからなあ。
不憫に思った粛宗は、オクチョンのために別棟を建てると言い出す…。王妃が、王の評判が落ちたり、謀反が怒らないようにって、どんなに心を砕いてるのか分からないのか?女のことで戦うなんてダメダメじゃん。他のことで議論したり、根回ししたりしなよ。

王妃は、別室の建設を知っても、騒ぎ立てない。しかし、王妃の母・府夫人は鋭くオクチュンの狙いを感じとって「これはやり過ぎた」と怒る。兄のミン・ジヌが西人派に働き掛けてみるが、反対する名目がない。王室の財源を使うのだから、官に文句をいわれる筋合いはない!っていうのが王の言い分なのね。
「臣下と対立するのでなく、共に歩む道を考えられないか?」とナム・グマンは王に進言する。王は「共に歩むにしても、まずは威厳を取り戻す」と臣下をなだめるようにグマンに指示する。
しかし、山官は「側室でもない女官に・・・」ということで、王に反対の意思を示した。オクチュンは「ニヤリ」。これで「側室へ」という流れが出来るって計算ね。

大王大妃は、王妃と会って「あなたが王を止めなさい」と言います。責める役を買って出たら、王妃は王に恨まれるんだよなあ。大王王妃は「王の立場がなくなるから、私からは言えない。王妃が言うのには名分があるから、王も引くきっかけができる」と説得。
王妃は、騒ぎがおこるのを防ぐために「オクチュンを側室にしては?」と言い出す。大王大妃は、それを狙っていたとはいえ、ビックリ。王の女官には口出せないが、側室になれば王妃の管理下だから、とりなすことも出来るっていうのが王妃の考えだけど、オクチュンは王妃の言うこと聞くわけないよなあ。
しかし、王妃が言い出すまえに、王は「側室にする」と言い出したね。オクチュンは淑媛(スグォン)になった。殊勝なことを王妃に言うオクチュンだけど、その下品なニヤニヤ笑いやめて~。
ヒジェはキーセンのスクチョンに抱きこまれて、色々と教育を施されている。

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