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張禧嬪(チャン・ヒビン)39・40話 [張禧嬪(チャン・ヒビン)]

39話 待望の懐妊 オクチョン懐妊の噂(うわさ)は瞬く間に宮中に広がった。粛宗(スクチョン)は喜びに満ちた顔で就善堂(チソンダン)に駆けつけ、「王子を産んだら王位を継がせる」とまで言いだす。

大王大妃は「王妃の子として育てましょう。広い心で受け止めて」と慰める。そしてオクチュンに「

守ろうとする兄と、「かえって責任を問われる」と止める王妃。

オクチョンは別堂の落成式の名目で宴(うたげ)を開催したいと提案し、さらに実家の家族も招待してほしいと願い出る。これを聞いた西人(ソイン)派は大いに反発し、傍若無人に振る舞いだしたオクチョンに危機感を募らせる。

そして別堂の落成式の日。文武百官、王族一同が会するなか、粛宗はオクチョンの懐妊を称える。そこへ ミン・ジヌが突然立ち上がり、オクチュンと親族の罪を進言する。「国を正すためには、死をも恐れない」という覚悟なんだけど、王は怒り狂って、尋問するという。
黒幕は誰だという王に「いるとすれば、この国の民」と言い続けるミン・ジヌ。王を止めようと病身をおして立ち上がった大王大妃が倒れた。

40話 ヒジェの入宮
大王大妃が倒れたという知らせを聞き、ミン・ジヌの尋問を中断して駆けつける粛宗。オクチュンの面会を拒んだ貴婦人だけど、王は、それでオクチュンをかばう行動に。

かろうじて意識を取り戻した大王大妃は、粛宗にミン・ジヌを許すように懇願するが、粛宗はこれを拒否する。
粛宗の目的はジヌの背後にいる西人派を捕らえることにあったが、西人派はジヌの救出に動かなかった。結局、チョ・サソクの進言を受け、仕方なくジヌを釈放する。

こうして西人派の動きを牽制した粛宗は、まず東平君を宮殿に呼んで自由な出入りを保障し、さらにチャン・ヒジェの入宮も発表。ヒジェ、浮かれすぎです。

ファン・ジニ 23・24(最終)話 [ファン・ジニ]

終わりました。チニがまともの芸に励んだのって、ホントに少なかったよね~。恋愛すると芸術をあっさりと捨てちゃうし、やっぱり役者さんの舞は素人レベルなので、芸術への思いをあんまり感じられなかった。特に、ハ・ジウォンちゃんは気の強さはあってるけど、致命的に姿勢が悪い。頑張ってるのはすごーく分かるんだけどね。古今東西、踊る人というのは立ち姿のきれいさがあるものだと思うんだ・・・。
どうしても、チニの天才性の表現が浅かったので、イマイチに感じました。詩の才能とかの方が、再現しやすいのかなあ。


23話天下の名妓 ミョンウォルをあきらめきれずに、彼女の冷たい態度に傷つき苦しむキム・ジョンハン。ミョンウォルが2人の子どもを身ごもっていることを隠していたと知って、我慢できずに彼女のもとへ。寺から出てきたミョンウォルを見つけると、腕をつかんで「妓夫(ぎふ)になればよいのか」と詰め寄る。ところがキム・ジョンハンの手を振り払おうとしたミョンウォルが、その弾みで階段から転げ落ちてしまう。キム・ジョンハンはあわててミョンウォルを教坊へ運ぶが、子供は助からなかった。

自分を責めるジョンハンを慰めるピョクケス。

タンシムが都に行ってミョンウォルの看病をする。タンシムの子を抱いて泣くミョンウォル。歌をつくり、ジョンハンの笛とともにジョンハンに贈った。
一緒に暮らしたジョンハンとあって、そこでコムンゴと笛で子供を弔う。「人々を私たちの子のように慈しんで、それぞれの場所で生きよう」というミョンウォル。

タンシムは我が子に遠くからでも父の顔を見せてやりたいと考え、トクパルに案内を頼んでピョクケスの屋敷へ向かう。ピョクケスは、穏やかに彼女を迎え、名前をつけて引き取ろうと言い出す。「さみしくなるだろうが・・・」と心配するピョクケス。そして「愛してくれる男に出会え」と言ってくれる。タンシムにはトクパルがいるからねえ。
わたしは、ピョクケス割と好きです。ミョンウォルに対しても「芸」に進むように刺激してきたもんね。

女楽の妓生(キーセン)としてさらに名声が上がったミョンウォルは、王や両班(ヤンバン)たちの宴(うたげ)にひっぱりだこの忙しい日々を送っていた。ミョンウォル、舞よりも楽曲の方が評判良さそう?

一方、そんな状況にプヨンはあせっている。それでも、舞うことはやめないプヨンが好き。荒れて行き、童妓の指導もせずに酒で気を紛らわせていた。
ミョンウォルと酒を酌み交わすプヨン。「何が不満なのだ」というプヨンに、「なぜ、キーセンをしているのか?」と芸に対する疑問を語る。噂ばかりで実質がなく、芸を分からぬ客への不満を述べる。

メヒャンが「ヘンスはキーセンを指導することも仕事だ。世間の評判が必要か?おまえは力が及ばないと認めるのか?」とプヨンを叱り、最後まで戦えと説得。
メヒャンは「最高の舞を」と二人に告げる。判断するのはキーセンにさせるという。6か月後に女楽の行首(ヘンス)の座を賭けて競演することになったミョンウォルとプヨン。メヒャンは2人それぞれが思う最高の舞を披露するよう命じていた。

一方、万人に感銘を与えられる舞こそが最高の舞だと考えたミョンウォル。うーん、でも芸に無知な人たちに対しては、結構「目新しさ。刺激」で感動は呼べるって面もある。ミョンウォルって、基本的に奇策ばかりで、正道は拒否してるよね。それは「芸」ではないよなあ。

ミョンウォルは、庶民の集まる市場で舞を披露する。すぐに人だかりができるが、通りがかった高名な学者ソ・ギョンドクに、見るに値しないとののしられてしまう。

教坊に戻ってあることに気づいたミョンウォルは、地味な服装で再び市場へ出かけ、仮面で顔を隠して舞ってみる。すると、今度は誰も見向きもせず、ミョンウォルはぼう然とする。

24(最終)話永遠の舞
芸を究めようとする二人。芸を求めるのは、裕福なものばかりというプヨンに「万民の心を打つもの」って言うミョンウォルだけど、半端な芸でも衣装がきれいなら心を打つのが庶民なのよ。プヨンは「ペンムの意思を告げ。脱線するな」と手厳しい。
プヨンはさまざまな舞を習って新たな舞を作りだそうと各地の教坊を回る。これって、前にジョンハンがやってた、各種芸の保存活動だよね。

ミョンウォルは、教坊には真の舞はないと、化粧や豪華な衣装がなくとも多くの人の心を打つ真の舞い手になることを望むミョンウォルは、「競演までには必ず戻る」と手紙を残して教坊から姿を消す。

家で降る雨を眺めていたソ・ギョンドクの前に、ミョンウォルが現れる。私は単なる娼妓であることすら気が付いてなかったと言って、「まずは娼妓であることから捨てる」と決意を語る。

そして、道端で投げ銭をあてに舞って暮らしていくという。そんな簡単に稼げるわけもない。「お前の踊りは傲慢だ。己の過ちに気がつけ」と厳しいギョンハク。
教えてほしいというミョンウォルに「教えることはできない。問い続けることだ」と言って、乾燥した花茶を飲ませてくれる。湯を含んで広がる花茶の姿を見て「きれい」と感じるミョンウォル。民に認めさせるのではなく、まずは民を認め、暮らしを学ぶことだといって、民とともに暮らし始めるミョンウォル。民衆が日々の暮らしの中で歌い踊るのに交るミョンウォル。

対決の日。ミョンウォルは戻ってこない。先に踊ったプヨンは最高の舞で賛同を得る。プヨンは、平服のまま飛び込んできて、そのまま踊るという。「最高の舞は最高の舞人が踊るもの。衣装はいらない。情感が体を通して一つとなったとき、最高の舞になる」と。凄い奢りだよなあ。「舞譜なしに、心の赴くままに踊る」とミョンウォル。
演奏する曲も支持できない踊りなので、無音のまま踊りだすミョンウォルだけど、楽師がそれに合わせて音をつけ始める。笑顔で踊る舞ってのは珍しいのかもな。キーセンは舞に拍手をくれた。プヨンは「負けた」と意識する。

しかし、メヒャンの結論は「プヨンをヘンスに」というもの。「私の負けだ」というプヨンだけど、「舞うだけでなく、才能を見極める能力があるのはお前なのだ」とメヒャン。

弱っていくヒョングムを見守るオムス様。すこし回復したヒョングムのために、一曲を演奏するオムス様。「来世があるなら・・・」と最後に。オムス様は本当にカッコよかったねえ。
危篤と聞いて、ミョンウォルが駆けつけてみとった。

泣く場所が欲しいと、ギョンドクのもとにやってくるミョンウォル。そして、民と舞いながら生きる日々に戻っていくミョンウォル。人が悲しみを乗り越えて笑顔になって舞う力を信じるというラストでした。

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